大隈記念タワーにある西北の風で、ホームページ制作者の西川徹さんを囲み、倉田監督と学生2名(清水宏康、畠山長太)に、日野水挙(H17)
と依田敬一が加わってホームページの更新や編集方針の打合せを行いました。
制作を担当していただいた西川さんのご協力に改めて感謝したしだいです。

制作を担当していただいた西川さんのご協力に改めて感謝したしだいです。

5月9日18:00からリーガロイヤルホテルで平成20年度の早稲田大学・稲門体育会の総会が開かれ、稲門スキー倶楽部からは、代表委員の山田脩一さんほか、佐々木会長、見谷昌禧、宮島啓、高波松男、渡部新、西澤直、倉田秀道、依田敬一が出席しました。
125周年に合わせ体育各部の好成績が目立ったことで例年になく多くの関係者が参加して賑わいを見せていました。
会長挨拶:河野洋平、 司会進行:露木茂
125周年に合わせ体育各部の好成績が目立ったことで例年になく多くの関係者が参加して賑わいを見せていました。
会長挨拶:河野洋平、 司会進行:露木茂
所沢にある現在の合宿所は、平成2年(1990)に東伏見から移転しました。折りしも、収容人員不足で増改築中ですが、47年前、同様のケースで東伏見合宿所の建替えにご苦労された当時のマネージャー山田脩一氏が五十年史に寄稿した「連続優勝の美酒」の中にある、東伏見の合宿所建設に関する一章をご紹介致します。
(いずれ全文をご紹介いたします。)
写真は、平成2年移転を惜しんで記念撮影。後方が東伏見合宿所
新合宿所建設 (編集者注・昭和36年完成/東伏見)
山田脩一(昭和38年卒)
さきにも書いた通り、メンバーが本年は二十五名になり、合宿所一軒には全員入ることができず、いきおいチームワークにも欠けることになった。そこで山田の急務は合宿所新築にあった。
池田マネのとき東伏見に移って来たものの理事会の議題にも完全な形では出されなかった。前からあった古い宿舎を改築したものが、われわれにあたえられてい たのだが、新合宿所の必要性を大学当局に申し入れ、理事会の議題に入れてもらってから三ケ月の間に四回の取り消しがあって、難産このうえもなく、ようやく 八月二十三日に地鎮祭にこぎつけた。
スキー部五十年史に見る東伏見合宿所の建設の続きを読む
「創 立 の こ ろ」
小 川 勝 次(大正12年)
霜鳥啓樹、東条義人、それに私の三人は、大正六年高田中学の卒業で、中学時代からいつも一緒にスキーに出かけていた仲だった。そんな関係で早大に入ってか らも、学校裏の越佐クラブでよくおち会った。おち会うと、話題はいつも“早大にスキー部を作ろうじゃないか”ということだった。
越佐クラブというといかにも堂々たる建物を連想するが、学校の二十番教室からグラウンドへの途中、今にも倒れそうな古いバラック建の六畳一間で、利点は学 校に近いといぅことだけだった。仙台生まれのバンツァンが住んでいて、たまに渋茶を出してくれる程度のお粗末さだった。
当時の早稲田大学体育会には十いくつかの部があったが、柔道部、剣道部・野球部、陸上競技部、水上競技部、ボート部、庭球部などが有名であり、また勢力もあった。新しい部を作って学校当局の認可を得るには、先ずこういう有力な部の賛助を得ることが必要であった。
私どもは学校当局に当たってみると同時に、これら有力な部の幹部にも理解を求め、併せて協力をお願いした。また一方ではスキーに経験ある人々の募集を始 めた。ところがうれしいことに山田広がボート部から、岩田繁二一が剣道部から参加し、樺太出身の蒔田庄太郎、中川新、北海道出身の鎌田儀三郎、高田中学出 身の幸田泰治も馳せ参じてきた。また長岡中学出身の橋本済はスキーと登山の熟達者であることも判った。私も野球部をやめスキーに専念することにした。
小 川 勝 次(大正12年)
霜鳥啓樹、東条義人、それに私の三人は、大正六年高田中学の卒業で、中学時代からいつも一緒にスキーに出かけていた仲だった。そんな関係で早大に入ってか らも、学校裏の越佐クラブでよくおち会った。おち会うと、話題はいつも“早大にスキー部を作ろうじゃないか”ということだった。
越佐クラブというといかにも堂々たる建物を連想するが、学校の二十番教室からグラウンドへの途中、今にも倒れそうな古いバラック建の六畳一間で、利点は学 校に近いといぅことだけだった。仙台生まれのバンツァンが住んでいて、たまに渋茶を出してくれる程度のお粗末さだった。
当時の早稲田大学体育会には十いくつかの部があったが、柔道部、剣道部・野球部、陸上競技部、水上競技部、ボート部、庭球部などが有名であり、また勢力もあった。新しい部を作って学校当局の認可を得るには、先ずこういう有力な部の賛助を得ることが必要であった。
私どもは学校当局に当たってみると同時に、これら有力な部の幹部にも理解を求め、併せて協力をお願いした。また一方ではスキーに経験ある人々の募集を始 めた。ところがうれしいことに山田広がボート部から、岩田繁二一が剣道部から参加し、樺太出身の蒔田庄太郎、中川新、北海道出身の鎌田儀三郎、高田中学出 身の幸田泰治も馳せ参じてきた。また長岡中学出身の橋本済はスキーと登山の熟達者であることも判った。私も野球部をやめスキーに専念することにした。
平成19年度の総会があわただしく終わり、スキー部の卒業生5名を送る会が大隈記念タワーにある校友会サロンで行われました。宮内スキー部長(ご夫妻)、倉田監督以下スキー部員25名(アルペンが大会出場で欠席5名)が参加して、これまでにない賑やかな送る会になりました。
卒業生:
高尾康平、嶋田翼、岩船雄介、馬場智子、若井愛恵
OBは23名、遠くは蔵王から岡崎さんがご夫妻でお出でになりました。
例年通り、卒業生に記念の盾を贈呈し卒業を祝い、また、今年の特筆すべきは、全日本における女子(角田、小林、丸山)のリレー初優勝、男子(立崎、柏原)のスプリント初優勝があり、それぞれに記念品を添えて表彰状が手渡されました。
OB参加者:(順不同・敬称略)
遠藤栄二、中塚晃介、山下幸子、村山房夫、藤沢佳応、古賀久国、財前孝広、山田脩一、佐々木亮、岡崎治彌、藤田武四郎、高波松男、渡辺巌、入江保也、青山義正、佐藤昭、久蔵正、宮島啓、倉田秀道、伊澤暢正、横山康彦、渡部新、依田敬一


(報告:依田敬一)
3月25日の卒業式を前に、14日(金)、リーガロイヤルホテル東京で体育各部卒業謝恩会が開かれました。スキー部の卒業生は5名ですが、高尾康平、嶋田翼、岩船雄介、馬場智子が出席しました。(岩井愛恵が都合で欠席)
会 場には各部の卒業生500名前後と大学関係者、稲門体育会関係者が多数集まり、大学を代表して白井総長、稲門体育会を代表して河野洋平会長が祝辞を述べて 卒業生を祝福しました。
また、卒業生から関係者への謝辞が述べられ、鏡割りとともに賑やかなパーティーとなりました。

早稲田スポーツの発展を担った卒業生 の皆さん、本当にご苦労様でした。社会でのご活躍を心より念願いたします。
主催:早稲田大学体育各部実行委員会
稲門スキー倶楽部からの出席者:
倉田秀道監督、山田脩一体育委員、佐々木亮会長、依田敬一幹事長
左から嶋田翼、佐々木会長、宮内部長、倉田監督、岩船雄介、馬場智子、手前・高尾康平
元早稲田大学総長であり、スキー部長として大変お世話になった西原春夫先生が、昨年、秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章されたことはご既承の通りです。何かお祝 いをと思いながら遅くなりましたが、佐々木会長と私が2月21日に先生の事務所をお訪ねし、スキー部員・OBが着用の防寒コートと記念グッズのマフラータ オルを稲門スキー倶楽部として差し上げてきました。

先生は、現在、特定非営利活動法人「アジア平和貢献センター」の理事長としてご活躍です。
今年80歳になられますが、相変わらずスキーをおやりになっているそうです。基礎体力作りに週1回の水泳で必ず1300m泳ぐとのお話には大変感動しました。
4月には白井総長ほか有力者が発起人となって盛大に祝賀会を開くとのことでした。
報告:依田敬一
今年の冬季国体が2月19日から野沢温泉で行われました。稲門関係者が役員として、選手として各地から大勢集まりましたので、開会式のあと地元野沢温泉の森行成さんが音頭を取って恒例の早稲田ナイトの開催となりました。
賑やかに、そして賑やかに、小泉太郎君の指揮早稲田大学の校歌も4番までありました。

参加者:(敬称略、順不同)
藤田武四郎、大島辰雄、佐々木亮、森行成、佐藤昭、佐藤英樹、倉田秀道、相原正裕、橘良弘、渡部研二、羽田勤、高橋幸一郎、佐藤恵美子、小泉太郎、依田敬一
報告:依田敬一